お寺へいきたい


 「ねえ、じいじとばあば、シムの(死ぬの)?」園から戻ったチーが靴をぬぎながら言う。幼稚園で仏さまの話を聞いたり歌ったりするうちに、「死ぬ」ということにひっかかるようになっているな。
 「そうだよ」
 「もうトシダカラ?」
 「うん、いっぱい生きてきたからね。でも、チーちゃんが赤ちゃんうむまで
  生きていてもらおうね。じいじとばあばに優しくしてあげて。」
 「ウン。ねえ、ナムナムすればシマナイ?(死なない?)」
 「そうだね、神様にいつもお願いしておけばね」
 「チーチャン、お寺へイキタイ」
なんだかホロっとさせられた。こんなに小さな子が大事なものを守りたいと思っているんだ。死んでいなくなるっていう感覚がわかり始めているのかな。「ママもシムの?」とよく聞くようにもなった。かわいそうだけれど「いつかは死んじゃうよ」と正直に答えている。「シマナいで!」と焦った顔になるので、「ママもチーチャンの生んだ赤ちゃんのお世話するまでずっと生きていたいな、その赤ちゃんがママになるのも見たいな」と抱っこしながら言ってあげるんだけど。
 話はまた違うが、わたしが何気に歌った「ゲゲゲの鬼太郎」のテーマソングに2人が興味をもったので、この間ビデオを借りてきてみんなで見た。怖い場面があるとすぐにわたしのところへ飛び込んでくる2人なのだけど、「たましい」の話には特にこだわりを見せた。魂が大好物の妖怪が次々に周りの者の魂を吸い取ってしまって、吸い取られた者は死んでしまう。あのネズミ男もそうされてしまい、あわや荼毘にふされるところで魂が戻ってきて生き返る、という話だった。
 「ママ、チーちゃんにもタマシー、アルの?」と真顔で聞かれたときには、どう説明してよいかうなってしまったよ。
 命の話は難しい。でも避けて通れない。小学校の子供たちに話し、伝える術は持っていたかもしれないけれど、3才のこのおチビたちにどうやって伝えていこう。自分たちがあらゆる命に囲まれて生きていること、目に見えない「たましい」のつながり、「死ぬ」ってどんなことか・・・花を見て、生き物に触れて、人に出会って・・・。機会あるごとに立ち止まって語っていかなければならないだろうな。