ふれあいウォークラリー

 父の日の前日ということもあって今日は土曜保育参観。近くにある御用邸記念公園で親子ふれあいウォークラリーが行われた。雨続きの毎日だったのが今日だけは見事晴天になったので、だれが「晴れ女」かな、などと先生方の顔を見る。きれいな先生ばかりです、この園は・・・。
 始めの会でお遊戯を3つ見せてもらう。「お家の方も一緒に踊ってくださいね」というお言葉をマジに受けてノリノリで踊っていると、先生が突然曲を止め、マイク片手に
「マーちゃんのお父さんとお母さん、スバラシイ!!皆さん、ああいう風に踊ってくださいね!」と指さして言うので、きゃーっ、赤面。主人が隣でちゃんと踊っていたこともびっくり。でも
「じゃあ、もう一度始めから!」という先生の声に、「え〜っつ、またかよ〜」というどこかのパパたちのブーイングが聞こえてきて、何だか申し訳ない気になってしまう。
 ところで、我が子はきちんと踊っているかと見てみると、マーは一生懸命踊っているのに、チーときたら立ったままの様子。マーが時々チーの手を握って促しているようだけれど、おかまいなしで踊る気配が一向にない。これは終わりの会の歌のときも同じだった。どうしてチーちゃん?園で新しい歌を教わると、すぐに家でうたったり踊ったりして見せるのはチーのほうだった。舌足らずで歌う歌がかわいらしくて、たくさん拍手をしてあげるのに、どうして肝心な時にはこうなんだろう。
 そんなことを考えていたら思い出されたのが、新採2年目にもった6年生のアキノリという男の子。スポーツ万能で女子にも人気があったが、無口で話したがらない子だった。このころの私は「歌声」で学級作りをしようとしていたので、新しい歌をどんどん教えたし、歌声を絶やさないようにしていた。男子も女子も一生懸命にそれに応えてくれた。でも、アキノリだけは口を大きく開けないし、楽しそうに歌っている風には見えず、音楽の関心・意欲・態度の評価は悪かった。
 いよいよ卒業という頃、子供たちが担任にそれぞれ感謝の手紙を書いてくれた。アキノリ自身の手紙の文はありきたりの言葉だったが、母親が書き添えてくれた言葉を目にした時、「しまった!」と思った。わたしはあの子の何を見ていたんだろう。
「先生、たくさんの歌を教えてくださってありがとうございました。アキノリは歌が大好きで、家 でよく口ずさんでいました。”あのすばらしい愛をもう一度”など、わたしも一緒に加わり、よ く歌ったものです・・・」
(明日に続く)