死ねない


2週間前に取った胃のポリープの生検結果を聞いた。結果は「良性」・・・ああ良かった。心からそう思った。この子たちのためにもまだまだ死ねない、大病もできない。偏頭痛に悩まされてはいるものの、健康といえる体に感謝しなくてはいけないなあ、とつくづく思う。
 父が病に倒れたのが、この子たちの生まれる2年前だった。今でも定期検査を欠かさないが、それでも元気に仕事をしているので幸せな方だ。病院のすぐ下に「トイザラス」というおもちゃやがあり、検診で「異常なし」といわれるとよほど嬉しく安心するのか、そこへ寄って何かしらお土産を買ってきてくれる。
 父の病は、ある面仕方ないとあきらめがついたものの、2年前2才違いの妹が同じ病に倒れた時は、目の前が真っ暗になった。「まさか」という気持ちだった。「これであの薬を買って、すぐに飲みな」と手元にあった何万円かをとっさに手渡したのを覚えている。後で、それぐらいのお金では続けては飲めないほど、高い薬だということを知ったのだけれど・・・。3年前、わたしがお産で死ぬかもしれないとわかった時、「残されたこの子たちの母親がわりにはわたしがなろう」と一瞬覚悟してくれた、という妹。妹には一人娘がいるが、今度は何かあったらわたしがあの子の母親がわりになってあげなければ、と、そんなことは絶対ないに決まっているが・・・。
 昨年4月、「初ちゃん」と呼んでいた従兄の奥さんが36才で亡くなった。妹と同級生、同じ病名、そして子供同士も同い年だった。妹にとって、どんなにつらく恐ろしく感じた死だっただろう。何よりも36才の若さで我が子をおいて旅立たなくてはならなかった初ちゃんの気持ち、どんなに無念だったかと思うと今でも夜、涙が出てくる。そして思うのだ、「わたしは、死ねない」と。
 妹は、病魔におびえながらも仕事に精を出し、子育てにも余念がない。母に言わせると「まるで時間がないかのように、もう必死で生きているかんじ」・・・。そんなに焦らなくても大丈夫、時間はまだまだたくさんある、という気持ちは、健康な者だから思えるのだろうか。妹の気持ちを、いやこの病気に苦しんでいる人の気もちを支えていくのは本当に難しいな。今のわたしには一喜一憂することぐらいしかできない。そして「どうか、どうか再発しませんように」と毎日念じることぐらいしか・・・。