オチビ、4才になる

とうとう無事4才の誕生日を迎えることができました。よくここまで大きくなったものだ、としみじみと思い出します。
 生きるか死ぬかの出産後、輸血、点滴、そして寝たままの体にはいろんな管がつけられていて、この2人を抱っこすることはなかなかできませんでした。あこがれていた初乳も夢で終わり。それでも母になったんだという喜びは大きく、こんなことに負けてたまるか、と頑張っていました。出産から2、3日して主人が役所からもらってきた戸籍謄本に新しく2人の名前がしっかり書かれているのを見たとき、涙がこみあげてきて止まりませんでした。(実はこの頃、自分は知らずにいたのですが、数値上では危篤状態で「敗血症」を起こしたら一巻の終わりだった、と後から聞きました。)
 オチビたちだけ退院するわけにも行かず、結局生まれてから1ヶ月をわたしと病院で過ごしました。ベッドに横になるわたしには2人の世話は無理で、朝になると父が母を車で連れて来てくれ、夕飯時、主人が来てくれるのと入れ替わりに母は帰りました。
 2人を代わりばんこに抱っこしてはいろいろな童謡を歌う母でした。母がこんなに歌を知っていたんだと初めて知りました。母は「月の砂漠」が好きでした。「長い歌だからね、次に何をうたおうか、ってとりあえず考えなくて済むもの」と言っていました。何度も聞くうちにいつのまにか4番まである歌詞をわたしも覚えていました。幻想的な情景描写、さばくを行く二人があてもないのにそれでも、2人で静かに確かに歩んでいくんだと思うと、ベッドにいるだけでどうにもならない自分とだぶるところがあって、せつなくなりました。長い入院のストレスからか、円形脱毛症も起こしてしまっている自分がいっそう惨めに思えたものです。
 ようやく家(実家)に戻ることができた時、心から幸せを噛みしめました。夜中の2時間おきの授乳にも母がつきあってくれました。主人もよく泊まってくれました。
 一度に2人の赤ちゃんに恵まれて、一人を抱っこしても「わたしにはあと一人抱っこする赤ちゃんがいるんだ」と思うとうれしくてうれしくて、こんなに幸せでいいんだろうか、この先神様はわたしに意地悪をして、赤ちゃんを取り上げてしまうんじゃないか、と不安になるほど幸せでした。おかしな話ですが、この不安はしばらく続いて、2ヶ月、3ヶ月・・・と2人が元気に大きくなっていっても「まだ、花の命ほども長くない、もっともっと無事に、時間よ過ぎろ!」と1年草の花と比べるようなことをしていました。
 そして今日、2人は元気いっぱいの4才になりました。「2人とも、偉かったね!」「ドウシテ?」「だって、迷わないで、まちがえないで、ママとパパのところに生まれてきたから。それも2人いっしょに!」そう言うと、「マーちゃんち、スゴイデショ!」とうれしそうな顔をしました。
生まれて4年、まだまだ多年草?そして大地に根をはって枝を広げる樹ほども生きていません。(名前に「樹」という字を入れる親の願いがわかるようになりました)でも、我が家の2人の名には「千」と「万」の字があります。いつまでもいつまでも、健やかにたくましく生きて、命をつなげていくように、そんな願いを込めたんです。そしてそれをずうっと見守りたいと思うのです。