運動会の思い出

 久しぶりの出勤。毎年夏休みがあけると子供たちがすごく成長するのを感じてはいたが、6月末から会っていないとなると輪をかけて「大きくなったなあ」を実感。お互いちょっと照れちゃったりして、3年生になるとほんと少しずつ大人びてくるよね。この日は2日後に運動会が迫ったため全体練習があり、久しぶりに2時間を運動場の陽の下で過ごした。
 開会式、ラジオ体操、ダンス、など一通りの練習が終わったあと、選抜リレーの練習が始まった。すっかり主婦が板につき?控えめに控えめに先生していたつもりが、リレーを見たとたん、忘れかけていた何かがよみがえり、大声をはりあげて「そら〜、行け〜、じゅん〜!」などと自分のクラスの子の名前を呼びながら走り出していた。だっ、だめだ、血がさわぐ〜。
 勝負ごとが好きなのか、運動会では燃えに燃える性格であった。初めて教師になった年の運動会、夜の反省会でいい気持ちで一杯飲んでいたら、高学年のじいさん先生(定年間近、おっかない水戸のご隠居、という感じで影で「御大」と恐れられていた…)がわたしのところへやってきて「教師が勝負ごとに熱くなってどうする」とのたまわれた。「しゅ〜ん」一気に酔いが覚めた。
でも、それから何度考えてもわたしの答えは「教師が熱くなって、何が悪い?」だった。悪いけど、あの御大とはいっしょにやっていけないね、と。
 ところが運命は皮肉なもの。翌年、その御大が主任のもと、6年生を担任することになった。大ベテランの貫禄はさすがで、わたしを含むあとの3人は御大をあがめ奉って、月日が過ぎた。納得のいかないこともあり、「はいはい」といいながら内緒で自分のやりたいようにやったことも多多あった。そうして迎えた運動会。学年で競う「団体種目」は何にしようか、と皆で考える間も与えず、御大は「『騎馬リレー』をやる」と言い放った。あとで周りの先生に聞くと、騎馬リレーはこの御大の十八番で、6年生を持つと必ずこれをやり、絶対に勝利を自分のものにするのだ、って。はあ、なるほどね。今年度で定年、御大にはこれが最後の運動会だった。騎馬リレーで勝って盛り上がりたいんだろうな。でもね、ごめんなさい、わたしがそうはさせないわ、わたし&わたしの子供たち、があなたに「熱くなる」ことのすばらしさを見せてあげましょう!こうしてひそかに6年4組だけ教師自ら下剋上の精神で闘志満々、そしてそれはクラスの子供たちにも確かに伝わっていったのであった。
 さて、騎馬リレーとは?4人1組でチームをつくり、3人で作った馬の上に、一人が乗り、片手に大きな旗をもちながら運動場を半周、バトンがわりにその旗を渡していく、というものである。
下の馬の3人は△にならび、後の2人がそれぞれ内側の手を先頭の肩に置き、外側の手を先頭の手とつないでできるわけ。旗を持つ子は、肩から降りた2本の腕にまたがり、つないだ外の手に足の裏を乗せるわけだけれど、旗を持つから片手で馬をつかむしかないし、半周の間に、足をのせる手と手が外れそうになるし、何事もなく走りきるのは本当に大変なワザだった。それでも毎日、毎日、子供たちは練習に励んだ。馬の中には男女が混ざった馬もいた。最初は嫌がっていたが、本人たちも周りもそんなことは問題でない、とわかり始めると、励まし合いながら走りつづけた。
 おかしなもので、助っ人は他にもいた。御大を煙たがっている、年配の先生たちだった。「おい、こうやってみろ」「こういうふうに順番を組め」などとひそかにわたしにアドバイスをしてくれた。きっとあの御大が「シテヤラレル」ところを見たかったのだろう。そしてそれは本当になるほど、と思えるアドバイスだった。
 こうして運動会が迫った学年練習の時間、「騎馬リレー」の予行練習が始まった。御大のクラスはどう出るか、練習なのに心臓がドクドク鳴って、締め付けられるようだった。ところが、もう一人の女の先生が、スタートの馬が直線にしっかり並ばないうちにピストルを鳴らしてしまった。線から一番離れていたのはうちのクラスの馬だった。不意打ちのスタートに遅れて飛び出したうちの馬は焦って、わずか2、3歩で前のめりに崩れた。馬の先頭で走っていた男子はつないだ手を離すこともできず、顔面から地面へとすべりこんだ。顔中、砂まみれ、血まみれで、泣きながら立ちあがるその子の顔をみたとたん、わたしも涙がこみあげてきて、「ひどすぎる!どうしてちゃんと用意ができていないのに、スタートさせたんですか!」と怒りをぶちまけた。とんだハプニングに、練習は中止になった。
 けれど、この事態が、クラスの子供たちの闘志にさらなる火、いや、ダイナマイトほどの弾みをつけたのだった。
(続きは明日へ)