誕生会で


 園で9月の誕生会が行われるとあって、朝からはりきって出かけたオチビたちであった。「ご本がもらえるんだよ」「オモチャがもらえるんだよ」「かんぶり(かんむり)をカブルンダヨ」と教えてもらっただけに、どんなお土産をもって帰ってくるのか母もわくわくしていました。
 先月、8月の誕生会があった日、帰ってくるとマーが偉そうに言った。
「あのね、○ちゃんがね、大きくナッタラ『プリキュア』にナリタイ、って言ったの。なれないのにね〜、小さいからワカッテイナインダヨ」母は吹き出しましたよ。小さいって、あんたたちより1ヶ月お姉さんなんだけどね〜、ってね。
 あの子たちは何になりたいって言うんだろう、とそれがひそかな楽しみでした。本当にたくさんのお土産をもってうれしそうにバスから降りてきましたよ。家にあがると、いつもはおやつを食べるのにそれも忘れて、オモチャで遊びはじめています。かわいいブロックのセットでした。「ねえ、何になりたいって言ったの?」と聞くと、「アノネ、お母さんになりたいってイッタノ」とマー。「チーは?」と聞くと「チーチャンも…」(なあんだ、ウルトラマンじゃなかったのか)とちょっと残念だったりして。
 「お母さんになりたい」というのは予想できた答えでした。前にも書きましたが、「ママも死ぬの?」とたびたび聞くオチビたちに「まだ、死なないよ。チーとマーの赤ちゃんのお顔も見たいし、お世話もしたいもの。ばあばになってから死ぬの」と答えていたので、何だか「お母さんになること」=「ママが長生きすること」という図式につながってしまったのかも知れません。おまけにおままごとごっこで犬のぬいぐるみをかわいがるオチビたちに「ママはね、チーちゃんたちが生まれるまで、犬の子が一番かわいい、って思っていたの。小さくてふわふわしていて、お乳臭くて。でもね、チーちゃんとマーチャンが生まれたら、人間の赤ちゃんがいっちばんかわいいってわかった。ほんとにほんとにかわいいんだから。」というようなことを言ったら、二人とも「わあ!」というような顔をしましたっけ。「おかあさんになりたい」というのは、そういう意味があったのかも知れません。
 ところがね、園の先生は単純に「おかあさんになりたい」と受け取ってくださらずに、もらったご本には、ふたりとも「おかあさんみたいになりたい」と書いてくださってありました。「おかあさんになりたい」ではだめだったんでしょうか。それとも気をきかせてそう書いてくださったのかしら。意味がちがうんですよね〜。わたしみたいになりたい、としたらそれは困りますう。危険?ですう。こんなドジな?家事も一人前にできない、気分屋の母を真似てもらっては…。「まったくねえ、わかってないねえ」と先生を恨めしく思いながら、だんだん「お母さんみたいになりたい」という文字がプレッシャーになってきました。でも、これから年を重ねていくうちにいつか子供たちが本当に「お母さんみたいになりたい」と思えるようになったら、それはきっとすごくうれしいことなのだろうな、と思えました。簡単なことじゃないですけどね。
 園で初めて祝ってもらった誕生日、それはわたしにとっても大切な一言をもらった記念すべき日となりました。この言葉を大切に、母親業に精を出していくことといたしましょう。