はじめてのピアノデビュー

 何か習い事をさせたいなあ、と思いつつ1年が過ぎてしまった。勤めているころは習い事の送り迎えの気力がなかったし、家で練習に付き合う心のゆとりもなく、先延ばしのまま4才になったオチビたちだった。さあ、お稽古事にも付き合えるわよ!という心の準備はできたのに、今度はお金の余裕がなく?お稽古事も精選して臨まねばならなくなった。
 姪がバレエを習っているので、オチビたちはバレエをやりたいようであるけれどごめんね、無理無理。1回の発表会で一人10万ほどのお金がかかるんだって。×2だもんね〜、半端な気持ちで始められませんよ。
 小さい頃、我が家は共働きだった。子供にかまってあげられないからと、その分「やりたい」という習い事は自由に習わせてくれた。クラシックバレエも習った。その頃テレビで「赤い靴」というバレエドラマをやっていて、バレエは女の子の憧れの的だった。わたしも例外にもれずその一人で、初めてのトウシューズも赤を選ぶほどハマった。発表会の衣装はいまでも母が大事にとってある。ピアノも3才から習った。実家には今では貴重な象牙の鍵盤のピアノがある。音楽が好きだった。レッスンを楽しいとは思わなかったが細く長く高校まで続けた。高2の終わり、音大には進まないと進路がはっきりした時点で辞めた。習字もピアノと同じように続けた。そして身につけたこれらの技術?は教師の仕事で大いにいかされた。本当に恵まれていた。両親に今でも感謝している。
 「ピアノは自分で教えればいいじゃない」と周りの人は言ってくれたけれど、それは違うよね。その道のプロに任せなければ。ということでまずピアノ教室探し。家の近くに1つ目を見つけた。電話で聞いてみると月謝もそんなに高くないし、優しそうな先生。ところが、門下生はみな大人で小さい子供がいないという。発表会もなし。これは問題あり。やっぱり「発表会」という改まった場を経験しないとね。何を着ようか楽しみにし、練習に励み、本番のあのドキドキを味わう。大きな成長のハードルだよね。2つ目はわたしが習っているころから名前は知っていた結構有名な先生。でもそのころでもお年だったから今はもう引退していらっしゃるかもなあ、と思いきや電話口の声は若く生き生きとして「まだまだ現役でございます」とノタマワレタ。技術的には太鼓判の先生かと思ったのだけれど、月謝が一人一万円と聞いて引いた。2万円、そんな余裕はございません。3つめ、わたしが習っていた教室。そのころでは音大を目指す中高生が通っていたし、音大の教授が講師陣だった。でもそれも20年前のことで、その路線ではでは経営が成り立たたなくなったようで、最近は小さなわんぱく坊主たちもどんどん入れているようだ。でもそこは車でもかなり遠いところ。そこまで行かなくてもねえ、ともう一人の不精なわたしがささやく…。
 あ〜あ、と思っているところで、叔母登場。近くで評判のいい先生を教えてくれた。月謝もお手ごろ、発表会もあり。で、勢いで電話をかけ、そこに決めてしまった。あとは先生の指導が魅力的か、子供たちの興味が続くか、母のサポートが忍耐と根気をもって持続するか、にかかっている。
 そして今日が初めてのレッスン日。散歩しながら先生宅に向かう。玄関で顔を見せたのは本当に気さくそうなご婦人だった。ピアノ教師というからもっとエレガント路線の先生を思い浮かべていたが、さっぱりすっきり系の先生でした。今日はほとんどが机の上でのお話。テキストを見ながら、音符のつくりや音階について絵を使いながら話を進める。やっぱりプロだよねえ、と感心しながら母は後ろから二人の姿を見ていたのでした。その先生は「ドーロ、れんげ、みかん、ファーデス王子、ソ−ヨ姫、ラッパ、しか、ドーロ」と話したり、カードを渡したりして音階を理解させようとしているらしい。この先、どうやって楽譜と本当の鍵盤が関わっていくのか、展開が楽しみ。いつか6手の連弾ができたらなあ、と夢が膨らむ母でありました。