命の恩人

 2、3週間前だった。母が「テレビで見たけれど、卵巣癌って怖いんだってよ。自覚症状が全くないってから」と話し、そういえば、と教え子のお母さんのことを思い出した。半年ごとに婦人科の定期検診は欠かさなかったのに、卵巣癌になってしまった。お見舞いにいくと「先生も気をつけた方がいいですよ、ちょっとお腹に肉がついてきて、中年太りかしら、と思っていたら実はもう腹水がたまっていたから」という話をしていたっけ。もう7、8年も前のことだけれどあのお母さんはお元気だろうか。
 そんなことがきっかけというか、お腹の肉は脂肪だわとわかっていても、なぜかとても気になってきて1度診てもらおうと決めた。いつもは近くの病院で済ませるところが、これもまたなぜか「そうだ、久しぶりにK先生に診てもらおう」と思い立ったのだ。
 K先生、それはわたしにとって特別な先生なのだ。オチビたちを授かる前からいろいろとお世話になった先生。そしてオチビたちを生んだ瞬間から、今度はわたしの命を助けるのに必死になってくれた先生。命を取りとめて退院した後は、運良く大きな病気もトラブルもないまま健康だったので、先生のところへ行く機会はほとんどなかった。午後、帰ってきたオチビたちを実家にあずけるとわたしは久々に病院に向かった。
 懐かしい待合のイス、いろんな思い出が甦る。子供ができなくて虚しくて焦って、でも涙を見せないようにそっと指でぬぐったこともあった。双子を授かったと分かった時は、看護婦さん、先生と「やったあ」と大喜びしたっけ。出血が始まって特休をとることになり、診断書を書いてもらったのはいいけれど、K先生ときたら日付を間違えていて、学校事務のお姉さんに書きなおしを迫られたこともあって苦笑い。そんなことを思い出しながらふと掲示板のお知らせを見ると「K医師は12月をもって退職いたします」と書いてあった。えっ?この病院からいなくなっちゃうの?驚きと同時に、なぜK先生に診てもらおうと思ったのか、それは虫の知らせだったんだ、と納得がいった。きっと神様が最後に引きあわせてくださったんだ。
 結局2時間ほど待たされたけれど、感慨に浸っていたわたしには苦にならなかった。ようやく診察室に呼ばれ、懐かしいK先生の顔に出会うとちょっと照れてしまった。先生が「わあ、久しぶり。元気だった?」と。「こういうわけで、心配になったので」というと早速エコーで診察。「大丈夫だよ、異常なし」という声に安心していると、先生は手術の傷跡を診ながら「きれいだなあ、あんな大きい手術をした痕とは思えない」などと、自分の腕に惚れ惚れ?するような口調で言っている。
「あ〜、先生、あの後、お腹の肉がどうにも元に戻らなくてこんなになってしまいました」というと看護婦さんが「二人も生んだんだもんね、わたしも似たようなものよ」などと慰めてくれる。
イスに掛けなおし、「先生、いなくなっちゃうんですか?違う病院に移られるんですか?」と尋ねると、なんと「静岡に開業する」と教えてくださった。「ええっ、そうなんだ〜」と驚きを隠せないわたし。「知らなかったの?」とおっしゃるのできっと、先生の退職を知って挨拶にみえる患者さんも多いのだろう。「ええ、今日来たのは本当に偶然なんです。きっと虫の知らせだったんですね。お世話になったから」と続ける。「オレもだよ、忘れないよ、はらはらしたもんなあ」とぼそっとおっしゃった。そういえば退院する前の夜、看護婦さんが言っていた。「K先生にね、何度も言ったのよ、『Yasukoさんは、ここにいていいんですか(他の病院に移さなくていいんですか)』ってね、でも先生は『オレが診る』って言ってきかなかったのよ…」と。うれしかったのと、でももしものことがあったらどうしたんだろう、と複雑な気持ちになったのを覚えている。でも、そんな先生とも本当にもうお別れなんだ。「先生、おかげさまで子供に恵まれ、そして命も助けて頂いて、本当に何物にも代えられないぐらいの幸せをいただきました。本当にお世話になりました、ありがとうございました」…神様が逢わせててくださった最後の時間、わたしは命の恩人に精一杯の感謝の気持ちを伝え、部屋を出た。
 「命の恩人」そんな人がいない方が、本当は幸せなんだろうな。でも「命の恩人」がいて、それほどの経験をしたことが、実は人生をもっと意味のある、価値のあるものにしてくれているのかもしれない。生きててよかった。本当によかった。ありがとう、K先生。静岡でもますますご活躍ください。