バラード1番


 2週間前、「月光」を終えた。終えたといってもね、ピアニストやコンクール出場を目指すわけではないので、ひととおり弾ければそれで満足、先生もよくお分かりで高度な芸術性を求めず、楽しく進んでいたところでした。で、次に何を弾くかという話になり、「ショパンの幻想即興曲はどうかしら?」と勧めてくださったけれど、高校の頃すでにやってあったので、調子にのり「バラード1番、なんて無理でしょうか」と聞くと「長いけれど大丈夫でしょう」とおっしゃるのでもう、うきうきしながら譜読みを始めました。(不思議なものでショパンを少しやるとベートヴェンを弾きたくなり、しばらくするとまたショパンに帰りたくなる…のです)
 ショパンで1番あこがれているのが、ピアノソナタ3番。でもこれはいくらがんばっても弾けないのが分かっている。英雄ポロネーズも大好きだけれど、途中左手のオクターブでの連打が続くところが絶対無理と分かっているからだめ。もしかしてがんばれば弾けるかな、と思っているのがスケルツォ第2番、この曲には途中大好きなフレーズがあり、そこを聴くと「死ぬときはこのフレーズを聴きながら気持ちよく死にたいなあ」と思うほど。こういう思いを抱く曲がもう一曲、それがラフマニノフのピアノ協奏曲2番にあるんだけど。
 バラード1番、むかーし買った安いショパンの名曲集にあったな、と思い出した。引っ張り出して聴くと「そうそう、これだよこれ」と名もないピアニストの演奏にしばしうっとりと聞き入ったのでした。「こんな感じなら弾ける、よね」とピアノに向かい、「おお、こんな感じ、こんな感じ」と一人で気持ちよくなっていたんだけど。
 月光のCDを返しながら、今度はバラードのCDを借りようと図書館の視聴覚コーナーへ。これまた品数が少なく、ようやく見つけたのが「中村紘子」。中村紘子ショパンはいいよね、と確信し、いそいそと借りて家で聴いたらぶっ飛んだ。(ごめんなさい、下品な言い方で)「こんなの、弾けない!」全然違うんだよ、我が家のCDの演奏と。速さが違うと、アクセントをつけたリズムまで違って聞こえてきてしまい、うねるような曲の流れに圧倒され愕然としました。どうしましょう!こんなすごい曲をやるつもりじゃなかった!
 それから焦って練習をしているけれどなかなか手ごわく、今日のレッスンではボロボロの「ボロード1番」(田中邦衛風に言うとそう聞こえない?)になってしまいました。弾き終わって思わず笑ってしまうわたしに「そんなことないわよ」と励ましてくださる優しい先生。「音が濁っているからペダルをもう少し練習しましょう」とアドバイスをして下さりました。で、家に戻り、色鉛筆を持ち出して、ペダルの部分に青色をつけてみました。印刷された小さなペダル記号には体が反応しなくなってきていて、派手に色をつけておくと「踏む」「離す」が分かりやすいんです。こういうところが「年をとったなあ」と実感するこのごろであります。譜読みを始めたときに、アクセント記号には赤の印を入れておいたので、長い楽譜は赤い丸と青い帯がずら〜っと続く、見た目に美しいものになりました。ほんと、笑ってしまいます。でも、どうにか完成させたい、執念に似た意地のようなものがあります。次のレッスンまでにどれくらいうまくなっていることやら。
 いつか年老いて死んだあと、チーやマーがこのショパンの、色とりどりになった楽譜を見つけて「お母さんも、よくやったよね、40過ぎてこんなにピアノに夢中になってさ」などと言うかもしれません。本当にハマッている母であります。